笑いの力
初めての寄席
昨日初めて寄席に行きました。
寄席とは講談や落語などをみせる興行小屋とのこと。
場所は神戸・新開地にある喜楽館(きらくかん)というところです。
落語自体は何度か直接聴いたことはありましたが、寄席で聴く落語は格別でした。
数名の落語家さんそれぞれの個性が面白かったのですが、特に桂あやめさんの関西人についての話が楽しかったです。
内容は居酒屋さんで大阪、神戸、京都の女性3人組が交わす会話から、それぞれの地域の特性が浮かびあがってくるという現代のお話。
そうそう、関西人といっても一緒にはできないんですよね。
神戸の人は「関西人?」と訊かれると、「いいえ、神戸です」と答えるとか。
長らく関西に住んでいる私も知らなかったので、生粋の関西の人に訊くと、そういうこともあるらしいです。
もちろん落語なので表現はかなり大げさでしたが、それぞれのエピソードに一抹の真実もありそうで、気づいたら自然に笑い声が出ていました。
笑いっていいですね。
別にふさいだ気分だったわけではありませんが、それでも心が軽くなった気がしました。
人はどのような時に笑うのか
ところで、笑いとはどんな時に生まれるのでしょう?
日常の中での笑いはふとした瞬間に無意識に出てくるものです。
気がついたら笑っていた、という感じですね。
一方で、落語は客を笑わせることを目的とした芸として提供され、客もまた笑うことを目的として訪れます。
だからその笑いは計算から生まれたものと言えます。
ただ、計算を計算と受け取られずに、あくまでも自然な笑いが生まれるようにしていく…。
これはやはりすごいことです。
演劇でも涙を誘う演技よりも、笑わせる方が難しいと言われるようです。
難しいことを可能にするものは何でしょう?
そこには、人間へのより深い理解や共感が必要なのではないかと感じます。
いったい人はどんな時に笑うのか、私も考えてみました。
「あ~、なるほど」「そういうことって確かにある!」という、日ごろなんとなく感じていることなどが表現された瞬間や、相手の表情や動作が想像を超えてきた時などでしょうか。
そんな例を挙げつつ、いったい自分はどんな時に笑っているのだろうと、ふと考え込んでしましました。
プロが生み出す笑いの力
笑いを仕事にされている方は「人間はどんな時に笑うのか?」を、日ごろから自問しているのだろうな、と想像します。
Aさんが笑ってもBさんにとっては面白くないのでは、笑いを提供する仕事にはなりませんからね。
そう考えると人を笑わせるという仕事は、かなり難易度の高いものだとわかります。
寄席にはたくさんのチラシが置かれていて、そこに多くの落語家さんたちが登場していました。
その方々が笑いを得るために日々研鑽を積まれているのだろうと想像すると、尊敬の気持ちが湧いてきます。
日々の努力はあっても、高座では余裕のある笑みを浮かべ、お客さんを喜ばせることに専心するのでしょう。
体の調子が悪い時、お医者さんを頼るように、気持ちが沈んでいるような時、私たちは無意識に笑える場所を求めます。
心の回復薬として、笑いの機会も時々自分に与えてあげたいものです。
その機会のひとつとして、寄席を選択肢に入れるのもいいですね。
(2023年1月29日 岩田)