ありのままを観るために

探し物が見つからない…

先日、冷蔵庫を開けて、バターを探していました。
いつものところに見当たらない…。
なぜ?とさらに奥を探すこと1分…。
一旦扉を閉めて、もう1回庫内をよく見てみると…。
ありました!奥どころか棚の前の方に…。
私の目はきっとそれをとらえていたはずなのに、認知できなかったのです。
その時に改めて思いました。
本当に人間って視界に入っていることを全部認識できるわけではないのだ、と。
最近の脳科学では、私たちはものごとを目で観察するのではなく、脳で観察しているといわれているそうです。
脳の中で何を見ようか先に決めていて、脳が見たいものを追認するだけ、だと。
確かに、思い込みが見たいものを決め、その結果見えるものを決めてしまっていることは多いように感じます。
私の場合、バターは冷蔵庫の特定の場所に置かれているという記憶が、逆に目の前のバターを見えなくさせてしまったのです。

さまざまな面を発見することは楽しい

そもそも私たちは視界に入ったものごとをそのまま認知するなどということはほとんどできません。(できる人もいるのかもしれませんが…)
認知のバイアス(偏り)によって、見たいように見ることが染みついています。
また、自分にとって不快なものをじっと観察しようという気にはなれません。
たとえば爬虫類が苦手という人は、目に入ったとたんに、それから遠ざかりたいという気持ちが働きます。
同じように苦手な人のことも、その人に張りつけた固定したイメージを変えようとは思わず、否定的な反応をしたり、その人から逃げたりしたくなるのがほとんどでしょう。
一方で偶然、苦手な人の思いがけない面を発見することもあります。
そういう時はちょっと嬉しい驚きがあります。
人にはいろいろな面があるのだなぁと実感する瞬間です。
だから、少しでも冷静に人やものごとのさまざまな面を見られるようになれば、私たちの世界は確実に広がるのではないでしょうか?

人類学者のように観察する

最近読んだ本の中に、人類学者の方が書かれたものがありました。
人類学者というと先進的な文明とは離れた地域に住んで、民族を研究するというイメージです。
インタビューや観察を通して調査、研究を進める、その手法はエスノグラフィーと呼ばれます。
最近では、ビジネスでもエスノグラフィーが活用されるようになり、人類学者もグローバル企業などに力を貸すようになっているのだそうです。
確かにデータや統計には表れないものを知るためには最適な方法でしょう。
そして、日常でも使えそうです。
それはエスノグラフィーが、先入観にとらわれず、対象のありのままの状態を観察することを重視しているからです。
私たちがものごとを見る時に認知のバイアスが働くと書きましたが、人類学者になったつもりで観ようと意識するだけで、バイアスの一部が働かなくなるかもしれません。
バイアス自体は私たちの思考エネルギーの消耗を防ぐなど、良い面をもっているので、常に外す必要はありませんが、別の角度からものごとを見た方が良い時には障害になります。
時には人類学者になったつもりになってみるのはどうでしょうか?

(2022年3月27日 岩田)

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