人の振り観て、我が振り直そう!

三度目の緊急事態宣言の発令

4月23日に、東京都・大阪府・京都府・兵庫県に三度目の「新型コロナウイルスの感染症緊急事態宣言」が発令されました。
ゴールデン・ウィークを前にして、感染拡大を防ごうとする措置ですが、個々人には不要不急の外出や移動の自粛、混雑する場所や時間を避けて行動することが求められています。
2週間余という短期間の措置で、どれだけの効果があるのか疑問視されてはいますが、それだけに、それぞれが自覚をもった行動が願われます。
期間中図書館の閉館もあるかと懸念して、昨日に8冊の予約本を借りに行きました。
幸い、開館時間の短縮や長時間の滞在自粛は出たものの、閉館措置までは至らず一安心しています。
緊急事態宣言に先立って、4月初めに、「まん延防止等重点措置」が、宮城県・大阪府・兵庫県に発令され、その後東京都・京都府・沖縄県、埼玉県・千葉県・神奈川県・愛知県が追加され、愛媛県にも発令されています。
これは、全国的に感染症の拡大がまん延することを防ぐことが目的です。
「まん延防止」を略して、「まん防」「マンボウ」とも呼ばれています。
「マンボウ」という名前と収束を願う気持ちから、最近、和歌山市立博物館で、「疫病厄除けマンボウ」という作品が展示されるようになったそうです。
これは江戸時代の作品で、160年前の人々が、当時流行した疫病(コレラ)の退散・収束を願って作られた木版画とのこと。作者は不明です。
1858年~59年にコレラが大流行して、59年には和歌山市周辺で1万人にも及ぶ死亡者が出たようです。
当時は水族館もなく、たまたま水揚げされた「マンボウ」の大きさと珍しさに「吉兆の印」として、コレラ収束を願って作られたのでは…と和歌山市立博物館の専門家が語っていらっしゃいました。
関西らしい話題だなぁと、何だか少し嬉しくなりました。

客観的に見えない自分自身

コロナ関連についてはこのくらいにして、話題を変えます。
周りの人を見ていて、「あの人、この間はあんなことを言っていたのに…。」とか、「あれ、まだこんなことを続けているの?」とか、「彼女は他人のあらさがしや、批判が多いよね。」とか、心の中で苦々しく思うことがしばしばあります。
心に引っ掛かりを覚える時は、自分にもその要素があるから気になる…ということは知っていますが、なかなか瞬時には認識できずに、つい他人事として価値判断してしまいます。
「人の振り観て、我が振り直せ」ということわざは、他人の行動を観て、良いところは見習い、悪いところは自分にも当てはまれば、見直して改めよということを意味しています。
「振り」とは、外側に現れた態度や動作をさしますが、内面の思いも含まれると思います。
自分の行いを客観的に見ることはなかなか難しいため、他人の行いを見て参考にして、自分の行いを顧み、改めると良いということでしょう。
他人の言動にどうしても心がざわつくときは、自分を顧みる大きなチャンスだと決意して取り組めるといいなと思います。
あまり無理し過ぎずに、楽しみながら我が振りを直していきたいものです。
類似語に、「他山の石」というものがあります。
こちらは、「その出来事や自分に向けられた批評が、結果的に自分の知徳を磨く助けになる…」。すなわち、他の山に転がっている粗末な石でも、自分の玉を美しく磨くのには役に立つということから、他人のつまらない言動も、自分の知識や品格を磨くのに役に立つこともあるというたとえです。
少し距離を置いて観ると、大したことではないと受け流せる事柄が、妙に引っ掛かったり気になるということは、自分の中に共鳴する要素が潜んでいることの証に他なりません。
誰しも、自分の足りない部分、悪しき部分には目を背けたくなります。
でも、心の奥底にはその存在を認識して、少しでも自分の理想とするところに成長したいという願いが存在しています。
その思いが、相性の悪い人、どうも好きになれない人、傷つけられる人…と、不思議と出会うようになっているのだと思います。

「怨憎会苦」は自作自演の虚像?

仏教に「怨憎会苦(おんぞうえく)」という言葉があります。
これは、煩悩からくる四苦八苦のひとつで、人生において怨み憎む者に会う苦しみのことを指します。
この構造をよく観察すると、そのうちの大半は、自分の中に「期待」や「固定観念」「こだわり」などがあって、怨み憎むものと出会い、その存在に気づかされる苦しみを生み出していることが分かります。
「これはこうあるべきだ」という観念が強くなればなるほど、怨憎会苦が高まってきます。
これは、「あるべき姿」への執着、自分の固定観念への執着が生み出す精神的な苦しみのように思います。
「怨憎会苦」は、自作自演の虚像であると喝破した人がいました。
出会う出来事、出会う人…、すべてに意味があり、成長するためにあるとするならば、確かにそう言えるのかも知れません。
たまたま、偶然、ふとしたことで、折よく、幸運なことに、不思議にも…という表現がありますが、それらは、ユング心理学で言われる「コインシデンス」(偶然の一致。同時に起こること)や、トランスパーソナル心理学での「シンクロニシティ」(共時性)で言われるように、すべてが意味のある必然なことなのでしょう。

出来事は解釈が大事

私達は一般に、「与えられたもの」より、「与えられなかったもの」に目が向いてしまう傾向があります。
実際にはどちらの場合も、それぞれに気づきと学びがあります。
ゆえに、出来事自体に意味があるのではなく、その出来事をどう解釈するのかが大事になります。
人生で与えられるすべての出来事や出会いは、それらがどれほど受け入れ難いものであっても、心の成長や自分自身の成長となるという意味で、必ず深い意味を持つのだと、改めて確信が持てるようになりました。
まだまだ行きつ戻りつの遅々とした歩みですが、諦めずに日々気づきと学びを深めていきたいと思っています。

(2021年4月25日 若杉)

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