人は誰もが「多重人格」

自分の中のいくつかの「自分」

今日あるオンラインミーティングに参加した時、ちょっとした違和感がありました。
ミーティングに違和感があったということではなく、参加している自分に「あれっ?」と思ったのです。
言葉にすると、「私はどの自分でここにいたらいいんだろう?」という感じです。
「どの自分で?」という問いの前提には「複数の自分がいる」があります。
実際、状況によって違った自分が出てくるのは経験済みです。
みなさんも特定の場面でいつもと違う自分が出てきたということがあったのではないでしょうか?
「複数の自分」とは「複数の人格」。
ひとりの人の中にはいくつかの人格が存在しているといわれます。
意識して観察してみると、結構その存在に気づくものです。
で、今日の私は初めての場にちょっと戸惑っている人格がいました。
全く馴染みがない場というわけでもないのに、設定された環境にどう対応するか迷っていました。
あえて名前をつけると「人見知りであまり前に出られない人格」です。
自分の中の小さな違和感がその人格を見つけたという感じなので、多分他の参加者はそれに気づくことはなかったと思います。
一方でそれが出てきたことを面白いと思う意識もありました。
ふり返ってみると、この人格、かなり前だと頻繁に出てきていた人格です。
今でこそ余裕のある顔で人前で話したりしていますが、それは「話すことを楽しむ人格」が出てきているからです。
かつてはちょっと自信のない「人見知りの人格」の方になじみがあったような気がするので、久しぶりに古い友達に会ったような感覚すら覚えて、ちょっと懐かしい気分になりました。

人は誰もが多重人格?

田坂広志さんの『人は、誰もが「多重人格」』を読むと、その辺りのことが詳しく書かれています。

人は、誰もが、心の中に「幾つもの人格」を持った「多重人格」です。
しかし、通常は、仕事や生活の状況は場面に合わせて、その「多重人格」の中から、ある人格を選び、働き、生活しています。
しかし、自分の中に隠れている「幾つもの人格」に気が付き、それらに光を当て、意識的に育て、状況や場面に応じて適切な人格で処することを覚えるならば、自然に「幾つもの才能」が開花していきます。
それゆえ、自分の中に眠る「幾つもの才能」を開花させたいと思うならば、自分が意識していなかった「幾つもの人格」に気がつき、その「多重人格のマネジメント」を行うことが不可欠です。
「多重人格のマネジメント」を行うことによって、「多様な才能」が開花していきます。

『人は、誰もが「多重人格」―誰も語らなかった「才能開花の技法」』田坂広志 より

以前、平野啓一郎さんの『私とは何か 「個人」から「分人」へ』のことも紹介したような気がしますが、書かれていることは同じだと思います。

かつての私は自分という人間を「〇〇な人」という単一の人格でとらえていた節があります。
だからなんとなく一貫していない自分を認められませんでした。
ある時は冷静で計画的なのに、別な時には慌てふためいてミスをする。
生真面目な自分もいれば、いい加減な自分もいる。
それらが自分の中のさまざまな人格だと受け入れられた時、かなり気分がラクになりました。
異なる人格を受け入れられると、それらを適材適所で活かそうという発想が生まれます。
「人見知りな人格」も、そこにしかない才能が眠っているはずです。
改めて発掘していきたいと思いました。

(2020年11月1日 岩田)

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