自己責任の生き方

深まりゆく秋

10月下旬を迎え、一段と秋の深まりを感じる季節になりました。
9月の半ばから甘く芳しい香りを漂わせてくれた「キンモクセイ」の花が落ちて、この時期は、毎年何だか感傷的な思いに包まれます。
キンモクセイは強い香りが印象的ですが、咲かせる花は直径1センチにも満たないつつましい様子にちなんで、「謙虚」「謙遜」の花言葉を持っています。
他にも「気高い人」「真実」「陶酔」「初恋」の花言葉も併せ持つ秋の風物詩です。
これからは、北の窓から見える六甲山の紅葉を楽しみに待ちたいと思います。

因果応報と自業自得

最近、カウンセリングの場面で、またテレビのドラマでも、「何の因果で…」とか、「親の因果が子に報いる」「因果は巡る…」というような言葉に出会うことが多くあるなぁと思っていましたら、今日のセッションの中でも、「前世の因果を消すために…」という言葉が出て、見過ごすことができずに、これは一体私に何を意味しているのかと考えてみることにしました。
まずは、ネットで検索から。
「因」は、因縁の意で、原因のこと。「果」は、果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと。
「因果応報」とは、人は善い行いをすれば善い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。つまり、行為の善悪に応じて、その報いがあるということになります。
不思議にも私のように興味を持った人がたくさん居たらしく、「四字熟語」のグーグル検索ランキングで、「因果応報」が何と2位でした。(10月24日現在)
ちなみに余談ですが、1位「笑止千万」、3位「猪突猛進」、4位「一期一会」、5位「生殺与奪」だそうです。これらの関連性は全く分かりませんが、どこからこれらの検索にたどり着かれたのか…とちょっと興味をそそられました。

本題に戻って、やはり、自分の望む結果を得たいと思ったら、それ相応の努力とか日々の生き方が問われるのは自明だと言えましょう。
病気も身体の歪みも、睡眠・食事・運動…が適切かどうか見直すことで、改善策が見出されるし、これまでの生き方からのシグナルが出されているのでしょう。
とは言え、私たちはなかなか自分の問題だと気付きたくなくて、何かの誰かのせいにして、痛みや苦痛を早く取り除いて欲しいとただただ願ってしまいます。
「因果応報」は、手厳しい言葉でもありますが、冷静に考えると受け入れざるを得ない正論だと気づかされます。
同じような意味を表すものに、「自業自得」があります。
どちらも現在では、悪いほうに用いられることが多いようです。

少し前に、アメリカのトランプ大統領がコロナに感染されたニュースを受けて、日本の中西経団連会長が、「トランプ大統領はもともとマスクをしないし、集会でも多数の聴衆の前でマスク無しの演説をしたりとか…、不注意の結果ではないか。ある意味自業自得だと思う。」とコメントされたことを思い出しました。
この「自業自得」も、『身から出たサビ』のように、一般には悪い報いを受ける場合に用いられますが、本来は、自分のした善悪の行為で、自ら苦楽の結果や招きを受けることを意味します。
悪い報いを受けた時に、自分の言動の結果を反省して、自らを「自業自得」と表現して今後改めるために使うのは、ポジティブな表現になりますが、他人を批判して切り捨てるために使われるのは何だか心痛い気がします。

自己責任を取れる人に

そういう意味では、善悪どちらの報いであっても、自分の行動の責任は自分にあるという「自己責任」という言葉が一番しっくりくるような気がします。
しかし、マスコミなどで言われる「自己責任論」は、「自分がやったことの責任は本人がとるべき!」という社会的な思想で、こちらも他人や第三者を批判する考え方になってしまいます。
あくまでも、自分の過ちは逃げずに最後まで責任を負う姿勢が大事だということです。
「人の振り見て我が振り直せ」と言われるように、なかなか見えない自分の行動が、鏡に映し出されて、初めて自分の姿が客観的に認識できます。
でも、見たくない自分がそこに鮮明に映し出されます。
観たくないからこそ、自分で自分に責任をもった生き方をする勇気を持ちたいと思います。
今日は少し、観念的な文章になってしまいました。
季節の変わり目、皆様、コロナにもインフルエンザにも十分ご注意くださいませ!

(2020年10月25日 若杉)

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