自分に合った目標設定とは?

更新を忘れた理由

早速ですが、今日は月曜日。
そう、本来ならこのブログをアップする日ではありません。
なぜ今日になったかというと、昨日忘れたから…という単純な理由です。
周りの方で「読んでるよ」と言ってくださる方もいらっしゃるので、どうしたのかと思われた方がいたかもしれませんね。
失礼しましたm(__)m
昨日、あるオンラインセミナーに参加していたせいかもしれません。
余りにそこに集中していたせいでしょう。
次回からは日曜日を死守します、いえ、そのぐらいのつもりで意識します。
(絶対と言い切れるほど自分を信頼してはいないので…)
ではなぜそこまで集中していたのかというと、昨日のセミナーが、自分が目標にしたいことは何か、そのために今から少しずつ変えていくことは何かについて考えさせられたからです。
この2,3年自分自身が変化しつつあることを感じてきましたが、今年はまた新たな変化に向かうタイミングだという感覚があります。
(そもそも新型コロナの影響で世界全体が変化に直面しているわけですが)
変化するためには大きなエネルギーが要ります。
そしてどこに向かうのかという目標が必要です。
昨日は目標そのものについても見直す機会になったのです。

目標設定には2種類ある

コーチとしてわざわざこんなことを言うのもなんですが、そもそも私自身は「目標」という言葉に苦手意識がありました。
「~になる」「~をする」という言葉は何となくそこに自分が縛り付けられるようなイメージがあり、つい、あまり決めたくないという思いになってしまうのです。
人の無意識にはさまざまなプログラムがありますが、私の中には「自由でいたい、縛られたくない」というのがあります。
同時に型にはまったことも嫌いではありません。
矛盾するプログラムが共存するのはよくあることですが、時にそれで葛藤します。
目標についてこれまで多くの人の反応を見てきた結果、私のように目標を決めることに抵抗があるという人も少なくない気がします。
ただ、目標が大事ということはわかっています。
ではどうしたらいいのか?
昨日改めて気づいたことがありました。
それは、目標設定は少なくとも2種類に分けられるのではないかということです。
ひとつは、到達点を表す目標です。
手に入れたいものや立場などがこれに当たります。
「〇〇の資格を取りたい」「〇〇を仕事にしたい」「年収〇〇以上を実現したい」「誰もできていない〇〇という技術を実現したい」「幸せな家庭を築きたい」など。
わかりやすいですし、一般的に目標設定というとこちらのイメージが強いと思います。
もうひとつは、「あり方」を表す目標です。
何を手に入れるかということよりも、どういう自分になっていたいかということに焦点が向けられます。
「良心に恥じない生き方をする」「ものごとの良い面を見られる人になる」など。
言葉にすると内面的で曖昧で、実現したかどうか判断することができない、一生を通じての努力目標のようなものです。
どちらがより高度だということもなく、その人にとってどちらを身近に感じられるかという違いだと思います。
アプローチは違いますが、行きついた先が同じだったというケースもありそうです。
どうも私がしっくりくるのは後者の方だったようです。
昨日私はある言葉を目標にしました。(個人的なことなのでしばらくはヒミツです)
不思議ですが、選んだとたん心の底から力が湧いてくるような感覚がありました。
何をしたらいいかは私にとって重要ではなかったことに気づきました。
その目標の範囲なら何をしてもいいのだと思った瞬間に解放された気分になり、さっそく昨日から新たな日課を作ってみました。
いずれその話を書くことがあるかもしれません。
目標設定も言葉の問題と言ってしまえばそれまでなんですが、言葉とは存外重要なものです。
みなさんにとってはどちらの目標設定が自分に合っていますか?

(2020年10月5日 岩田)

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