人間らしく育つ

いよいよ季節は夏から秋へ

アジア名「ハイシェン」と呼ばれた、大型で非常に強い台風10号の通過や、各地で頻繁に起こる激しい雷鳴を伴った局地的豪雨の影響もあってか、朝夕はめっきりと凌ぎやすくなってきました。
いよいよ季節は、夏から秋に移行が始まりました。
が、天気予報によると、向こう一週間の最高気温はかなり高めの予想が見込まれ、日中の蒸し暑さはまだまだ続くようです。
8月の猛暑でたまった疲れが、待ちわびた9月に入ってからドッと出ている方もいらっしゃるかと思いますが、コロナ対策も含めて、体調管理にお互い十分注意したいものですね。

ふと目に留まった1冊の本

先日、最寄り駅の書店に並ぶ新刊書を何気なく眺めていたところ、ふと1冊の本に目が留まりました。
『きちんと 生きてる人が やっぱり強い』――胸を張って愚直に歩いてゆく――内海 実著  
題名よりも、表紙の裏カバーに書かれた言葉に惹かれて、思わず買ってみました。
「いっけん利口そうな処世術がはびこる今、私たちは、何を頼りにして生きるべきか、見誤ってはいないだろうか。仕事に誠実に。人を大切に。人生の王道を、迷いなく歩んでみませんか。」
という言葉です。
早速中身を読んでみると、
「きちんと人間らしく生きよう。それはいつの時代にも、何よりも強く確かな生き方だと思う」
と、プロローグに書かれていました。

内容自体は目新しいものではなく、著者の実体験から人生や人間関係を振り返り、時代と共に生まれてしまった格差社会に警鐘を鳴らす、後進へのエールが綴られています。
なかで、論語を引用された「徳孤ならず、必ず隣あり」という言葉が印象に残りました。
人徳のある人の周りには、必ず慕うものが取り巻いて絶えない、という意味だそうです。
「人と人がきちんとした人間関係を築くには、礼儀というルールや、人を大切にする心、自分を省みる謙虚さや、人生に対する誠実さが必要…」
まさにおっしゃる通り!と共感を覚える私に、自分で、いい意味で年を取ったことを痛感しました。
若い時は、誰しも正論に尖がって反発したり、逆説を唱えたりしがちです。
既存のものを越えて新しいものを創造するために、破壊するエネルギーが必要になるのでしょう。それが若さの特権のような気がします。
在りし日の尖った青春時代を懐かしみながら、いつの間にか丸くなりすぎた自分に苦笑いをしながら、この本を読みました。
忙しい皆様のために、各章の目次をお届けします。
それだけでも、エッセンスを読み取っていただけると思います。

「人を理解し立てる人は、人に認められる」
「人や物事に謙虚な人は、人に押し立てられる」
「人を思いやれる人は、人に愛される」
「明るく前向きな人は、人に好かれる」
「柔軟で芯のブレない人は、人に信頼される」
「きちんと育てられた人は、人とうまくやれる」

『きちんと 生きてる人が やっぱり強い』――胸を張って愚直に歩いてゆく――内海 実著

文中で、ひとつ明確でない言葉に引っかかりました。それは、「人間らしく」と言う言葉です。

一体「人間らしさとは?」

日頃あまり気にも留めずに使ってきた言葉ですが、いざ考えてみると…。
インターネットで検索してみると、「遺伝子に組み込まれたプログラムのようなものではなく、人間が後天的に、教育を受けることを通じて自分の内に形作るもの。人間特有の性質」と書かれていました。
脳の発達の分野では、「人間以外の動物は、ハードウエア(身体)もソフトウエア(その動物の特性)も備えて産まれてきますが、人間だけが唯一、ソフトウエアが白紙で産まれてくる」と言われています。
この未発達のソフトウエア「人間らしさ」は、教育でしか育てられないのです。
では、誰が、どのように考えて、「人間らしく」教育するのでしょうか?
おそらく、両親もしくは養育者が教育することになるのでしょうが、概念が曖昧なのと教育するものの心のレベルに個差があることは否めません。
今までも足りない部分は、学校教育や社会教育で補ってきたのでしょうが、次世代の子供を育てる上で、これでいいのかと、とても考えさせられました。
何ができるか分かりませんが、自分たちの直結する子供や孫だけでなく、一人の大人として、これからの子供達に責任をもって関わっていきたいと思わされました。

(2020年9月13日 若杉)

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