自分の「黒い馬」を乗り越える

久しぶりに観た映画

先週の金曜日、ある会でピアノ演奏を聴きました。
食事がメインのように思って参加したので、その前に演奏を聴くことになっていることすら忘れていました。
ところが実際に演奏が始まると、生の音の波動が身体全体に染み渡り、なんともいえない心地よさ!
小一時間の演奏後心身ともにリラックスしている自分に驚いたぐらいです。
音楽療法というのがありますが、確かに音楽には人を癒す力があると実感した時間でした。
その延長で昨日は映画「蜜蜂と遠雷」をひとりで観に行きました。
恩田陸さんの原作小説が好きで、映画化されたことは知っていたものの、映画館に行くのがおっくうで二の足を踏んでいましたが、前日のピアノ演奏に背中を押されました。
映画では主人公のひとり栄伝亜夜の心象の表現に黒い馬の映像が使われていました。
天才少女として有名だった彼女は、演奏会から逃げ出してしまった過去があります。
約7年間表舞台から姿を消した後、20歳でピアノコンクールに挑戦するのですが、その彼女に立ちはだかるのが、「逃げた自分」というセルフ・イメージです。
黒い馬はまさにその象徴。
その葛藤をどう乗り越えるのかも映画のテーマです。

人が最高の能力を発揮するとき

私は今、『コーチングハンドブック』を土台にしたセミナーをしています。
今月は第9章「パフォーマンスの高い状態を作るために」を扱います。
ちょうどこの映画とリンクするような内容です。
現実を作り出しているのは私たちの頭の世界。
その世界はイメージと言葉でつくられています。
どんなイメージと言葉が頭の中にあるのかによって、能力の発揮され方が違ってくるというわけです。
栄伝亜夜のように才能に恵まれた存在であっても、逃げ出したときのイメージが再現され、その行動を否定する言葉が頭の中で繰り返されたら、本来の力を発揮することはできません。
では、最高の力を発揮できるときとはどんなときなのか?
コーチングの原点を作ったともいえるティモシー・ガルウェイは「自己妨害」のない状態にあるとき、パフォーマンスが高くなるといっています。
自己妨害とは自分が自分に「~するな」「~しろ」などの命令や「~はだめだった」「~は良かった」というような評価をする内的会話のことです。
逆にうまくいっている時は「ただひたすらプレーに集中している」状態だといいます。
「フロー」や「ゾーン」などとも言われますが、対象に静かに集中し、体が自然に動いている状態ですね。
映画のラストの演奏はまさにそれでした。
彼女は自らの黒い馬のイメージを乗り越え、音楽との絆を取り戻しました。
暗いイメージから解放されると、封印されていたエネルギーが本来の目的のために働き出すということなのですね。
誰もがそれぞれの「最高の力」を発揮する可能性をもっている…。
それを信じたいと思っています。

(2019年11月3日 岩田)

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