23年目を迎え、ふり返った震災体験

軽い気持ちで向かった参観日でしたが…

今日は、小学1年生の孫の参観日。
昨年近所に引っ越してきたので、我が家から2~3分のところにある小学校です。
書初めの展示もあるということで、孫の学校生活を垣間見るつもりで、朝から軽い気持ちで出かけました。
それが2時間目の「防災に関する道徳」で、「ああ、今日は阪神淡路大震災から23年目を迎える日だった」と、薄れていた記憶が一気に浮かび上がりました。

1995年1月17日。M7.2の地震で6425名の方が亡くなりました。
当時マンションの10階に住んでいたので、ドン!という驚愕の音と共に、寝ていた枕もとのタンスの上部が布団に圧し掛かり、テレビや、冷蔵庫までが吹っ飛び、廊下の給湯器が倒れて、お湯があふれ出していました。
別室で寝ていた10歳の娘の「お母さん、怖いよ!」という叫び声が、今でも鮮明に思い出されます。
重いタンスを押しのけ、何とか這い出して、廊下に出ました。
倒れた給湯器が邪魔をして、娘のところに近づけません。
夫は出張中だったので、護ってやれるのは、私だけ。
幸い、給湯器が斜めに倒れていたので、床から身体を滑り込ませて、ようやく娘を抱きしめることができました。

仕事仲間が、安否を気遣って駆けつけてくれ、一緒に近くの市役所に、毛布だけを持って、自主避難することになりましたが、マンション前の道路は、水道管が破裂して噴水状態でした。
他にもさまざまな記憶がよみがえり、臨場感をもって思い出されることには、限りがありません。

孫の通う小学校でも、児童が3名、校長先生も犠牲になられたとか。
「メモリアル・セレモニー」で、黙祷が捧げられ、各教室で、子ども達による『幸せ運べるように』の合唱がなされました。

ふと、市役所の一時避難場所につれていった「リス」のことを思い出しました。
このリスは、子ども達の人気者でした。
愛くるしい顔や、元気に動き回る様子に、どんなに癒されたことでしょう。
その後、3か月を大阪の実家で過ごしている間にリスは亡くなりました。

合唱を聴きながら、過ぎ去った過去や体験を思い起こし、私は、今日、この参観日に招かれたことを深く感謝しました。
「いまを大切に生きよう!」
改めて、心の底から思い起こされました。

(2018年1月17日 若杉)

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