聴き方のレッスン(3)観察者になってみる
無意識は安心・安全を求めている
無意識の欲求の最も基本的なものは、「安心・安全」だといわれます。
はるか昔、人類がまだ未開の荒野で狩猟採集の生活を送っていた時、最も大事なことは、自然の脅威から身を守り、安全に生き長らえることだったに違いありません。
そのDNAは脈々と受け継がれ、現代人も安全に対するアンテナを無意識に張り巡らせています。
人間関係において安心と感じやすいのは、「わかる」「そうだよね」と、相手の経験や主張に共感できる時でしょう。
人は「同じ」であること、すでに「わかっている」ことに対しては安心するのです。
以前私は転んで右手にギプスをしていたことがあります。
それまで体の一部を固定されたことなんてありませんでしたから、こんなに大変なんだ~と実感しました。
その体験があると、ギプスをしている人が大変だと言う時「わかる」と、素直に同意できます。
そしてその話題の中ではなんとなく安心という感覚があるのです。
一方で、わからないこと、同意し難いことが話題になると安心から遠のきます。
ちっとも興味のないことをずっと話されたら、つまらないと感じます。
それは安心・安全とは対極の、軽い脅威といってもいいでしょう。
脅威に対しては闘うか逃げるしかない?
脅威や危険が迫ってきたら、人間の無意識(本能といってもいいですね)は「闘争・逃走ストレス反応」と呼ばれる反応を起こすといわれます。
心の安心・安全をおびやかすものが脅威と考えると、私たちのまわりはさまざまな脅威に満ちています。
まくしたてるように自分のことだけを話す人がいる…
グループで盛り上がっている話題に自分だけ興味がなく、全くついていけなかった…
くり返し同じ話ばかりを聞かされる…
会話という場面だけでも、いろいろなことがあります。
闘争反応の例は、相手の話を遮ったり、否定したりすることでしょう。
逃走反応の方は、会話を避けたり、話を聞き流したりということだったりします。
どちらもその場で精いっぱいの安全を確保するための反応ですが、問題はそうしていると、相手と自分の関係性はほとんど変わらないということです。
同じことがずっとくり返される可能性が大きいのです。
第3の道:観察者になる
何かを変えようとするときに効果的だと思うことのひとつは今目の前で起こっていることをちゃんと「観る」ということです。
もちろん、人によって効果的なことというのは異なるのでしょうが、何が起こっているのか、ありのままを観るということは出発点だと思うのです。
私たちはものごとを見るときに、本当に自分の見たいように見て、判断しています。
一旦、その見方を横において、新たな目で「観てみる」と、発見があるものです。
こちらが冷静になって、観察者として、相手の表情や声のトーン、姿勢や言葉の力などを、少しの好奇心をもって眺めるだけです。
いやだなぁと思って、話が終わるのをただ待つよりは、主体的な聴き方になります。
聴かされていると思うよりも、自分が好んで観察しながら聴いていると思える状態を作った方が、相手も聴いてもらえたと思いやすいのではないでしょうか?
よかったら観察者になってみませんか?
(2017年2月4日 岩田)