願望が忘れた頃に叶うワケ

願望はいつ叶うのか?

過去に願ったことを今手に入れられていると気づいたことはありませんか?
人間はものごとの欠けている面を見がちなので、叶っていないことに焦点が当たりがちですが、よくよく考えれば叶っていることも少なくありません。
以前にも書いたような気がしますが、例えば私は20年ぐらい前、決まった時間に拘束されずに働きたいと願っていました。
その頃は毎朝同じ電車に乗って、同じ時間に帰宅するというくり返しに少しうんざりしていて、毎日違うところに行き、思いがけない体験に出合えたらどんなに楽しいだろうかと思っていたのです。
その後いろいろな変化があり、今の生活はかつて願ったことに近い状態になっています。
「あ、私が願っていたことは叶っているだ」と実感しました。
日々の連続を何気なくやり過ごしているだけではなかなか気づけませんが、みなさんにも、立ち止まってふり返ってみると意外に願いが叶っているということがあるのではないでしょうか?

忘れていた方が叶う?

願望実現の極意として、最初は強く願い、願いが無意識に届いたら、あとは忘れてしまう方が良いというようなことをいわれます。
確かに、強烈に「○○になりたい」「○○を手にしたい」と思っていない時の方が、実現しやすいということは体験からも頷ける気がします。
具体例は書きませんが、最近もそんなことがありました。
こうなったらいいなと、強く憧れていたことがあったのですが、だんだんこだわらなくなってきていました。
すると、何の前触れもなく、忘れていた願望に近いような話が来たのです。
なぜ忘れていた頃に願望が叶うのか?
その問いについて考えてみると、「エゴ」の強さと関係があるのではないかという気がしました。

願望と「エゴ」の関係

「エゴ」というのは、自分を最優先にする姿勢。
自分優先ということは、他者を二の次にしていることになります。
何かを強く願う時は、多くの場合「エゴ」的な発想が優位になっています。
私が過去に思い描いた願望の多くも「自分が望むこと」でした。
動機の中に私が楽しみたい、私がよい気分を味わいたい、というようなものが中心だったのです。
「自分が望むこと」は大事ですし、エゴも否定すべきものではありませんが、「自分だけ」が極端になると良くないだろうということは想像がつきます。
行き過ぎたエゴを緩めるためには時間も必要なのでしょう。
ほどよく「もうどうでもいいかな」という気分になったら、エゴが求めるものへの執着が減ります。
ただ、忘れた頃に望みが叶った時というのは、あまり感激もないのですよね。
ややもの足りなく感じられることもありますが、それも案外悪くないのではないでしょうか。
望みをもつことは人間にとって大事なこと。
その願望とどう付き合っていくのかもまた、人生で学んでいく大きなポイントだと思います。

(2023年4月9日 岩田)

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