同じことの繰り返しから出るために…

成長には必ず苦しみがついてくる?

私たちにはいろいろな信念体系があります。
通常はそれに気づかないまま影響を受けているものですが、今日参加したオンラインミーティングで普段より深く気づけたことがありました。
同じ学びの土台がある方々との対話だったためか、それぞれの体験から出てくる言葉から誘発されるものがあったのでしょう。
何に気づいたのかというと、まずは自分がこの10年ぐらい同じようなパターンを繰り返していること。
そして、私の信念の中では成長と苦しみ(苦労)がセットになっているということです。
成長は誰もが望むことですが、それが私にとっては過剰に大切なものになっていて、常に知識や能力、精神力を高め、人間的に成長したいという強い思いがあると再認識しました。
それのどこが悪いの?と訊かれそうですが、もちろん成長を望むことは悪いことではありません。
ただ、強い成長への欲求と苦しみがセットになっていることが、かえって成長を足止めしていたのではないかと気づいたのです。
目標達成や成功には多くの場合、苦労が伴うことも事実です。
そして苦労の末に何かを達成し、成長したと実感できたら嬉しさも格別です。
しかし私たちの本能は苦労を避けたいとも願っています。
成長のために必ず苦しまなければならないとなれば、前に進むことを躊躇したくなります。
とはいえやはり成長もしたい…。
行きたいけれど行きたくないという葛藤の繰り返しによって、成長が足止めされるのではないかという理屈です。

面倒なシステムの中にわざわざ身をおく不思議

多くの人の話を聴いていると、大事にする言葉こそ違うものの、同じような葛藤を抱えていることに気づきます。
まるで自らを檻に閉じ込め、出られないようにしているような印象です。
檻の中にいることにも気づかないことがありますが、一旦気づくと窮屈さを感じるものです。
檻の外に出たいと願うものの、そのためにはこれまで大事にしていたものを手放したり、諦めたりしなくてはなりません。
とても大事なものを目の前にして
「〇〇を今すぐ手ばなすことができるか?」
「〇〇を諦めることができるか?」
と問われたらどうでしょう?
簡単にYESとは言えないですよね?
私も「成長への執着を手放すことができる?」と問われたら、とても困ります。
というより、実際に自問して身体の感覚を探ってみたところ、思いのほか強い抵抗があることがわかりました。
よほど成長が大事なのです。
ただ、今回改めて成長について見直す機会がまわってきたのは、過剰な執着を解く時期を迎えているのだと思います。
成長と苦しみはセットである必要がないし、淡々と成長することもできるし、楽しく成長することもできる。
こちらの認識の方が健全です。
頭でわかっていても新たな信念体系をつくっていくのはなかなか大変ですが、今回の気づきを活かしていこうと思います。

(2021年8月15日 岩田)

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