負けない議論とは?
久しぶりに見つけた本
自室の本棚の奥行きは30㎝。
単行本や文庫本を2列に収納しているため、日ごろは奥の本には目が届きにくい状況です。
先日仕事の本を探している時にふと目に留まったのが『議論に絶対負けない法』でした。
アマゾンでみたら発行年が2012年となっているので、多分その頃に買ったのでしょう。
ちなみに私の本棚は本が増えてくると棚卸しして、残すか処分するかを厳選することになっています。
残っている本はかなり気に入ったものか、仕事で絶対必要なものだけ。
だから数年以上本棚に収まっていたこの本はそれなりに価値を見出していたはずですが、内容はほとんど覚えていません。
久しぶりに目を通してみると、やはりこの本を手放さなかったことには理由があったのだと思いました。
そもそも最近は感覚で本を仕分けしていて、行間からにじみ出てくる作者の信念や人格に共感するかどうかでちゃんと読むかどうかを決めています。
その観点では、この本は私としてはちゃんと読む部類に入るものだったのです。
議論に勝つとはどういうこと?
かつての私は負けることに強い抵抗がありました。
無自覚でしたが、相手を言い負かせたい、正しさを主張して勝ちたいという欲求がありました。
いえ、過去形ではなく、今も何かのきっかけでそれが発動することもあります。
ところで「勝つ」というのはどういうことなのでしょう?
この本の第2章はその問いから始まります。
「勝つ」とはどういうことだろうか。
ゲーリー・スペンス『議論に絶対負けない法』より
相手を感情と知性の面で無理やり降伏させることだろうか。
…「勝利とは相手の降伏の白旗をあげさせることだ」と思っているとしたら、あなたの考え方こそ「大間違い」である。
…言葉は発せられた瞬間に消えてしまうが、その言葉によってできた傷はほとんどの場合、永久に残る。
どんな銃弾による傷にも劣らぬほどひどい傷を、言葉によって心に残すことができる。
勝つか負けるかという選択を迫られたら、誰だって勝ちたいと思うでしょう。
皆が勝ちたいと願う中、もし私が自分だけの勝ちを狙ったら、必然的に相手を負かし、傷つけることになります。
傷つけられた人は反撃の矛先を私か他の弱い人に向けるでしょう。
その連鎖はなかなか止まりません。
仇討ちの成就は次の仇討ちの起点になるかもしれないのです。
著者のゲーリー・スペンスは著名な弁護士として多くの法廷に立ってきた人だそうです。
彼が定義する勝ちとは「望むものを手にすること」。
だとしたら、最善の方法は自分も相手も望むものを手にすることです。
簡単ではありませんが、ただ相手を打ち負かすことを狙うよりは、最大限望むものを手にするために協力しようという可能性が生まれます。
多分その方が創造的で楽しい作業でしょう。
魔術的な議論
本の中で「魔術的な議論」という話が出てきます。
毎月読書会で読んでいる『コーチングハンドブック』の表現では「無意識の自動運転」という表現で説明されていることと同じことを言っているのだと理解しました。
それは、話し始めると言葉が自動的に紡ぎ出される体験です。
話すことの恐怖に直面したとき、恐怖の前になすすべもない状態に陥るというのはありがちです。
そこでどこか諦めに似た境地で自分を明け渡たすと、突然状態が変わり、完全に自由で高揚した気分の中で無意識の中から言葉が出てくる…。
おそらくそんな体験です。
私もそれほど深くはありませんが、近い体験をしたことがあります。
フローといわれるような状態でしょう。
どうしたらそうなれるのか?
狙ってできるものではありません。
その道筋として著者は、「相手の話をよく聴くこと」「話すための材料をしっかり集めて準備すること」などを勧めています。
まだまだ内容にふれたいところがありますが、長くなったので、最後に本の中から私の一押しの言葉を引用して終わります。
「事実」と「論理」と「誠実さ」という基本的な材料を混ぜ合わせて議論を準備し、それを要約してさらに簡単にまとめ、最後に疑念と恐怖というオーブンの中で焼くと、本当にすばらしい主張、本当に人の心を打つ議論ができあがってくるのだ。
ゲーリー・スペンス『議論に絶対負けない法』
(2020年8月16日 岩田)