オンライン化での収穫

戸惑いしかなかった新しい授業形態

ある大学で前期に1コマ、授業を担当しています。
新型コロナの影響で教育機関は軒並みオンライン化に踏み切らざるを得ない状況になりました。
授業開始2週間延びるという知らせを受けていたものの、3月下旬までは私としてはのんびり構えていて、よもや対面授業が出来なくなるとまでは予想していませんでした。
というより、あえて予想することを避け、面倒なことを考えずにすむようにしていた自覚もあります。
それを猛烈に後悔したのは3月31日のこと。
大学からすべての授業をオンラインで行うよう通達があった時でした。
ちょっと考えれば感染対策を強化しなくてはならないタイミングで対面授業を実施することが難しいことなんて簡単に予想がついたはず。
そうとわかっていれば、オンライン授業のための準備だってもう少しできたはず。
3月の私は自分の感情と向き合うことに忙しくて、他のことに対応できなかったという事情はありましたが、それにしてももう少し考えられなかったものか、という後悔です。
しかし、3週間後に迫った第1回授業のために自力で授業動画をアップしなくてはなりません。
もうお尻に火がついた状態で、前に進むしかありませんでした。

なんとか形になったオンライン授業

録画を公開するという方法を選んだので、リアルタイムでの授業ではありませんが、それでもこれまでとは時間配分も変えなくてはならず、資料もかなり見直すことになりました。
大学が提供するガイダンス動画を観たり、PDFで100ページを超えるマニュアルを読んだりしつつ、Zoomでスライドを映しながら話したことを録画することを覚え、ひいては動画編集ソフトでいらない部分を削除することにも挑戦しました。
1回目の動画をアップすることにこぎつけた時は心底ホッとしましたが、第1回目の授業時間にはドキドキしました。
録画なので学生がちゃんと動画を観られていたらそれでいいわけですが、9時からの授業が始まってすぐに入った連絡が、「動画が観られない」という何人かの声。
慌てて大学のシステム担当の方と連絡をとり、アップロードの仕方を変えるなどしてやっと解決しました。
私のせいというより、システム上の問題だったのですが、それでも冷や汗をかきました。
最初のバタバタを体験して以降はなんとかスムーズに作業を繰り返し、すでに15回の授業のうち14回分までの資料を作り、13回分までの録画が終わったところです。
録画も当初はちょっと間違うと撮り直し、90分弱の授業に150分ぐらい時間をかけていましたが、今や少しぐらいの言い間違いは「ごめんなさい」の一言で終わらせ、撮り直しなしで済ませるようになりました。
いろいろふり返るとだいぶ成長させてもらいました。

必要は発明の母

「火事場の馬鹿力」などという言葉がありますが、本来使える力があったとしても多くの人は火急の事態が起こって初めてその力を発揮するのではないでしょうか。
私も普段はあえて自分を追い込むようなことは避けています。
授業でも、資料は一応毎年改良を試みていますが、今回はオンラインで私が話す時間が長くなるためにかなり変更することになりました。
変更しなければならないと覚悟すると、これまでにない発想が生まれ、いろいろ追加することができました。
新たな発見もありました。
パソコンに向かって話す時、当初話そうとは思っていなかったような内容に関連する話を饒舌に話している自分に気づいたのです。
もともとは「話すことは苦手」ぐらいの自己評価だったにもかかわらず、話すことに抵抗を感じず、むしろ言葉が自由に出てきて、なんだか不思議でした。
人間はちょっと追い込まれるぐらいの事態があって初めてギアを上げることができるのだと実感しました。
あえてそういう事態を自ら招こうと思えるほどではありませんが、今は何かあっても受けて立とうぐらいの気持ちにはなっています。
人間の無意識は基本的に変化しないことを願っているものですが、同時にまた自らを成長させるためのちょっとした緊急事態も望んでいるのだと思います。
夢中でそれに立ち向かっているうちに気づいたら新しい景色が広がっていたというような体験をされたという方も多いのではないでしょうか。
目の前の挑戦はきっと新しい景色へのお誘いです。
次にどんな挑戦ができるのか楽しみにしたいものですね。

(2020年7月5日 岩田)

関連記事

アーカイブ

ページ上部へ戻る