大津秀一『感動を与えて逝った12人の物語』
お盆は亡くなった人の魂を迎えるとき…
今年のお盆も終わりに近づいています。
地方によっても違うようですが、16日に送り日となります。
私の郷里は山梨ですが、お盆はお餅に黒蜜ときなこをまぶし、お供えする風習があります。
(かの「信玄餅」はそれをお土産用の商品にしたものです)
毎年夏にお墓参りはできないのですが、やはり亡くなった母や親族のことを思い出します。
はるか昔からの命がつながって、私たちは今を生きていますが、お盆は普段は忘れがちなそのこと偲ぶきっかけになりますね。
死というテーマは日常生活とかけ離れたところにあるとみなされ、あえて遠ざけられているようです。
が、さまざまな報道を目にするにつけ、死は実に身近なところにあるのだと気づかされます。
そしてその度に、死について、生きるということ、について思いを馳せてしまうのです。
ひとりひとりの物語
最近、たまたま図書館で予約した本を一気に読みました。
緩和医療医の大津秀一さんという方が、書かれたものです。
1000人以上の死を見届けた方が、その中の12人の物語を綴っています。
厳選された方といえばそれまでかもしれませんが、12名の人生にはそれぞれの終わり方がありました。
まるで自分もその場でその人の終末に立ち会ったかのように感じさせてもらったのは、著者の気持ちがこもった文章のおかげです。
もちろん、ここに書かれた12人以外のすべての人にそれぞれの終わり方があり、そこに唯一無二の物語があるはずです。
大津さんは「おわりに」に次のようなことを書かれています。(以下転載)
かつて、私は『死学』の終わりに、
「人はその生き方を他者に刻むために生きている」と書いた。
自分自身好きな言葉だが、この言葉を気に入ってくれた人たちがたくさんいるようで、とてもうれしかった。
何かを他者に伝えよう、何かを他者に残そう。
そのような脈々たる思いが、未来に結実するのではないかと思う。
「人はその生き方を他者に刻むために生きている」
私もこの言葉を気に入ったひとりです。
(2017年8月15日 岩田)