根強い依存性への気づき

書くことへの苦手意識

私は、自己紹介をする時に、いつも「文章の『章』という字を書いて、『章子(あきこ)』と読みます。」と伝えています。
兄の名前の一文字をもらって「章子」と名付けられました。
「章」と言う字は、「あや、しるし、けじめ、あざやかに目立たせる。」という意味を持っています。
名づけの思いがあったかどうか分かりませんが、幼いころから文章を書くのは好きで、どちらかと言うと得意だったように思います。
学生の頃に、新聞の読者欄に折に触れて投稿しては、掲載されて図書券をもらっていました。
いつの頃からか、書くことに苦手意識が芽生えて…、極めつけは40代の大病を患ってから、思考力が落ちてしまい、書くのは仕事上での必要最低限に留まるようになってしまいました。
このHPでのブログを担当させていただくようになって、月に1回から2回、かなりのプレッシャーを越えながら、私なりのまごころお届けさせていただいています。
テーマの定まらない時は、締め切りが間近に迫った作家さんの苦悩を実感しながら、頭の中の構想と格闘してしまいます。
「書きたい――けれども書きたくない」
「取り組みたい――けれども取り組みたくない」
「できれば先延ばしにして、逃れたい…」
エネルギーが激しくぶつかり合っているのが分かります。

余談ですが、22日(金)~23日(土)の一泊二日で、長崎のハウステンボスへ行って来ました。
ずいぶん昔に、二度ほど行ったことがあったのですが、今回、2年越しの計画がやっと実行されました。その分、思い入れも一層強く、念願叶った旅となりました。
昔の様相とは一変していて、かなりの途惑いと落胆の思いを抱えてしまっていましたが、一歩足を踏み入れると、一瞬にして精度の高いヨーロッパの街並みの再現に心が奪われて、期待をはるかに上回った大迫力の空間に浸ることができました。
その余韻が冷めやらぬ中、しかも軽い心身の疲れが感じられる今ですが、旅の話はこれぐらいにして、本題に意識を切り替えて…。

「読みたいことを、書けばいい」(田中泰延著)

数日前に今回のテーマを考えていた時、ふと8月25日のブログで書けずに、心残りになっていたことを思い出しました。
8月19日放映の、「林先生が驚く初耳学」でのベストセラー学で紹介された『読みたいことを、書けばいい』という本のことです。

録画を見た翌日に書店に行ったら、10冊がすぐに売り切れたそうで、入荷待ちで買えませんでした。
著者の田中泰延(ひろのぶ)さんは、大手広告代理店「電通」のコピーライターとして24年間活躍した後、2016年に退職し、退社後は青年実業家ではなく、ユーモアも交えて『青年失業家』という肩書を名乗っていらっしゃいます。
初めての著書が、8月時点で既に6万部を超えるベストセラーとなりました。
林先生は、この本を「よくあるテクニック本ではなく、書くことの根幹に迫った本」と語り、「書くということの本来の意味に気づかされるもので、生徒たちにも一度是非目を通してもらいたい」と絶賛されていました。
ただ、書くだけにとどまらず、言葉を使ったコミュニケーションにも応用できるとまで言われていたので、私はとても興味深く、読んでみたくなったのです。
「なにを書くのか」「だれに書くのか」「どう書くのか」「なぜ書くのか」「いつ書くのか。どこで書くのか」と目次が進められていきます。
序章では、この本のタイトルにもなっている、「自分が読みたいことを書けば、自分が楽しくなる」と書かれています。
なるほど。私は今まで、読み手に意識を向けていて、どう伝わるか、どう伝えればいいかを考え過ぎていたことに気が付きました。
私が知りたいのはプレゼンテーションの原稿でもなければ、履歴書でもなく、ブログに参考になること。読み進めていくうちに、核心に近くなりました。
ブログは随筆の部門に当たります。、では、「随筆」の定義は何でしょう。
辞書によると、「思うがままに筆に任せて書いた文章」と説明されています。
田中泰延氏は、「随筆とは、事象と心象が交わるところに生まれる文章」と定義されています。
事象とはすなはち、見聞きしたことや知ったこと。世の中のあらゆるモノ、コト、ヒトは事象であり、それに触れて心が動き、書きたくなる気持ちが生まれ、それを心象と呼びます。
このどちらかに偏り過ぎず、出来事や人間関係などとそれによって動かされる感情や感覚を織りなして伝えていく…。

安直に回答を求める自分

ここまで読んで、この本はノウハウを教える本でも、テクニックを教える本でもない…と理解して了解して読んでいるにも拘わらず、私の頭では??が飛び交い、だから…?と思ってしまいました。
この本に興味を持ったのは、随筆・ブログを書くのに役に立つ、上手く表現できるようになる、効率よく流れができる…ことを願っていたのです。
やはり私は、正解・回答を求めてしまっていたのです。
この本の趣旨・本質に感動するよりも、この本・著者の意図を学ぶことから、私の依存性・安直さを突き付けられることになりました。
まだまだ、知識・記憶・経験に頼り切って、新しくライブに学び、気づくことに重きを置けていない自分を思い知りました。
何からでも、どこからでも学びがあるとは言われますが、ちょっと苦笑する思いで、この気づきを受け止めて行きたいと思っています。

(2019年11月24日 若杉)

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