伝えようとしてはじめてわかること

言葉にすることは形を与えること

今行っている大学の授業のテーマはコーチングとファシリテーション。
特に期間の前半はペアでコーチングを体験してもらう時間がかなりありました。

そこで出てくる感想は、コーチとして大変だったとか、うまくいったというものと共に、クライアント(話を聴いてもらう方の人)としての体験も寄せられます。
話してみて、自分が思っていたこと、大事にしていたことに気づいたという感想がいくつかありました。

無意識に頭の中で会話が成立していたり、独り言を言っているということが、誰にもあるでしょう。
私たちはなんとなく、自分はいろいろ考えているとか、自分の考えがあると思っています。

ところがいざ、「本当はどうしたいの?」などと質問されると、戸惑ってしまうことが多いのです。
「あれ?どうしたいんだろう?」と、自分の中にぽっかりと空白が生まれます。
でも、空白のままにしておくことは気持ちが悪いので、何とか答えをひねり出そうとする…。
とりあえず出てきた答えに違和感をもつこともあるし、「へぇ、こんな言葉が出てきた」と驚くこともあります。
(違和感があることは引き続き答えを模索することにもなるでしょう)

言葉にしてみることは、自分の中にある、もやもやとしたものに形を与えること。
何らかの形になってみて、はじめてその実体を知ることができるということです。

聴いてくれる相手がいると、その実体の形がより鮮明になります。
気づいてなんだかスッキリしたという時は、もやもやが鮮明な形になった時なのではないでしょうか。

理解しているのかどうかも試される

人に何かを教える、説明しようとする時、自分の言葉を自分の耳で聞くことになります。
私自身、研修などに限らず、1対1でも相手に自分の知っていることを伝えようという時、妙に言葉が上滑りになっていることがあります。
多くは、話そうとしていることが十分に自分のものになっていない時です。
「え?こんなにわかっていなかったんだ…」という感じです。
頭の中ではわかっていたつもりのことでも、きちんと説明できなかった…、ということです。
誰もが経験することかもしれません。
話してみて初めて気づくのです。

わかったつもりにならず、機会があれば人に話してみる、聴いてもらうということは、やはり大事だなぁと思います。

また、同じような体験と知識を共有している人には伝わる話でも、そうでない人には同じように話しても伝わりません。
相手に合わせて言葉を選び、話し方を変える必要も痛感します。

私自身、もともと話すことは得意な方ではなかったので、今も試行錯誤の連続です。
「あ~、うまく伝えられなかった…」「自分はまだまだわかっていないんだなぁ」と反省しつつ、話すことにチャレンジする日々です。

(2017年6月27日 岩田)

関連記事

アーカイブ

ページ上部へ戻る