若杉章子の一文字ブログ3「氣」

2016年の最後に、『氣』を選んでみました

始めに、「文章を書くということ」から。
若いころは、書くことが大好きで、スラスラと思うことが文章になって綴られていく…どちらかと言うと得意な分野でした。
が、今は、とても苦手になってしまいました。

努力しないことを棚に上げ、何度か患った大病のせいにして、逃げている自分が居ます。
大病の始まりは、娘の出産直前に妊娠中毒になり、緊急入院の末、帝王切開で出産しました。
お医者様から、「今晩がヤマ」とまで言われ、家族を相当心配させたようです。
幸い子供は無事に産まれ、体重が少しだけ少なかったので、保育器に一日だけ入りましたが、スクスクと育ち、今では二人の孫にも恵まれています。

その後遺症からか、42歳の時に脳梗塞になり、一時は、右手右足が不自由になり、言語障害もありました。
それまでは、あまり自分の身体を労わることもなく、生活は仕事中心で、「主婦、奥さん、家内…」という言葉にほど遠い、「お外さん、家外」の毎日で、身体がとうとう悲鳴をあげて、溜めていたストレスが、一挙に噴き出したようです。
子供はまだ7歳でした。
病院の中で、娘に車椅子を押してもらったり、長い夜の時間を過ごす日々で、沢山の気づきを得たにも拘わらず、その後も2度の脳梗塞と脳内出血を起こしてしまいました。

ああ、病気の前は、もっと上手に話せたのに、もっといい文章が書けていたのに…と、悲観的な、否定的な思いに囚われて、必要最小限な試みしかしなくなっていきました。

逃げ続けていた自分に、このようなコメントの場を与えていただき、また、勇気を振り絞って、チャレンジさせていただこうと思い直しています。
拙い文章力ですが、どうぞご容赦をお願い致します。

さて、言い訳はこれぐらいにして、本題に戻ります。
1940年代の日本では、『氣』という文字が使われていましたが、戦後、漢字が見直され、『氣』は『気』と常用化されて、教科書にも「気」が採用されるようになりました。
元気、病気、天気、陽気、電気、活気、気性、気力…等々、気(氣)は、エネルギーを意味しています。

「氣」と「気」の違いは、米と〆。
米は末広がりで、八方に広がること。
エネルギーは、全身から広がり、放出されるということで「氣」が使われていました。
一方、〆は、閉じる、エネルギーを押し込めるという意味になります。

言葉や文字にも「言霊」があると言われます。
日常的には「気」を使用することが多いですが、エネルギーを意識して使う時は、
「氣」の文字を使ってみるのもいいかもしれませんね。

今年もあとわずかとなり、慌ただしい日々ですが、日頃氣になりながらできていなかった
断捨離に取り組んで、氣分を一掃して、新しい年を迎えていきたいものです。

皆様、お身体をご自愛いただいて、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
今年も一年、有難うございました。

(2016年12月16日 若杉)

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