聴き方のレッスン(7)聴けない時もある

聴くことが大事になりすぎると苦しい

現在、大学で週1回授業をしています。
テーマはコーチングとファシリテーションですが、学生たちには、まず聴くことの大切さを伝え、練習をしてもらっています。
聴き上手になることは、人生においてプラスになることが多いはずなので、真面目に取り組んでくれている様子が垣間見られると、嬉しく思います。

さて、今回のタイトルは「聴けない時もある」です。
そういうと身も蓋もないように思われそうです。
聴くことを意識して努力している人には、水を差されたように感じられるかもしれません。

ただ、私たちは常に人の話を聴けるというわけでもありません。
私はコーチングを習いたての頃、コーチになるのだから誰の話も受け入れて聴ける人にならなくてはと、どこかで思っていました。
が、それは無理なことでした。
すべての人の話をきちんと聴ける人になる、などというのは、飛び越えるのが不可能なほどのハードルです。
仕事では聴けても、日常生活では聴けない時がたくさんあります。
自分の感情を無視してまでも聴かなくてはならないと思うと、それがストレスとなります。

聴けない時を認識する

多くの人は、苦手な人の話は聴きたくないものです。
つかまって長々と話を聞かされる羽目になったら、一刻も早く逃げたくなるでしょう。

相手が苦手でなくても、話の内容そのものに同意できない時も、聴きたくないモードに入りがちです。
感情的な反応が出てきて、自分の正しさを主張したくなったりします。
そうなると、相手の言葉の真意を理解しようと聴くことは難しいですね。

また、そもそも聴くことにはエネルギーが要ります。
自分に余裕のないときは人の話は聴けません。
時間がない、仕事がたまっている、体調が良くない、気持ちが少し落ち込んでいる…。
そういう時は他の人に向けるエネルギーのない状態です。
まずは自分のエネルギーレベルをアップする必要があります。

一般的に聴けない時というのは、相手と自分をあえて切り離して、自分を守ろうとしている状態のようです。
そういった状態は、無意識で起こり、渦中で気づくことが難しいものです。

話の途中で「今、聴けていないな」と思うことはできなくても、後から振り返る形で、聴けなかった自分に気づくことは大事だと思います。

そして、「聴けない時もある」です。
聴けなかったからといって、過剰に反省しすぎる必要はありません。

何事も上手くやろうと思うと、余計な力が入りがちです。
それで失敗したという経験は誰しもあるのではないでしょうか?

できない時もあるぐらいの余裕をもって人の話を聴けたら、その方が聴き上手への近道となるかもしれません。

(2017年5月20日 岩田)

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