聴き方のレッスン(4)ニュートラルに聴く

ニュートラルな姿勢とは?

一般的にニュートラルな立場に立つというのは、 対立している両者のどちらにも肩入れせず、中間に立つことといった意味です。

では、話を聴くときのニュートラルというのは、 どういう状態なのでしょうか?
私のイメージでは、相手の意見や感情に過剰に同調せずに、全体をふわりと俯瞰するような立ち位置で聴くという感じです。

相手の悔しさ、悲しさには共感しながらも、 それに巻き込まれないということでしょうか。

ずっと以前、まだ息子が小学校の2,3年生のことだった と思います。
姉ふたりが彼の図工の作品をからかったことがありました。
特に娘たちに悪気があったというわけではなく、 無邪気に言いたいことを言ったのでしょう。
ただ、無邪気さというものは時に棘のよう鋭く 言われた人の心に突き刺さるのです。
息子は泣きながら「僕は一生懸命描いたんだよ」と言いました。
彼の悔しさが伝わってきて、私も胸が痛みました。
ただ、娘たちを怒る気にもなれませんでした。
コーチングを学ぶ前のことで、どうしたらいいかを知っていたわけでは、ありませんでしたが、 ただ息子に、「悔しかったんだね」と、彼の気持ちを汲み取りながら言いました。
その時の状態は、少しニュートラルに近かったと思います。

もし、私が過剰に息子の感情に同調していたら、 娘たちに対して攻撃的な気持ちになり、叱りつけていたでしょう。
すると娘たちは母親に言いつけた弟をさらに攻撃したくなったかもしれません。

失敗例も多々ある子育ての中で、少しは良かったかなと思える経験です。
ちなみに、今ではほとんど会話をしなくなった息子を見ると、「あんな時期もあったのに…」と、懐かしさを覚えますが…。

人は世界をわかりやすくしたい

意識は同時に2つのことをとらえることができません。
ひとつのことに注意を向けたら、まわりのことは目に入らなく なってしまうのが人間です。

だから、できるだけ世界を単純にとらえたいという傾向が あるようです。
そのほうが理解しやすいからです。

映画で、正義のヒーローと悪者との対立という構図はシンプルでわかりやすく、最後に悪者が倒されたら、観客は胸のすくような 高揚感を感じて映画館を出るでしょう。

ところが、実際の世界はそう単純ではありません。
相手が悪いと思っても、相手は相手の事情があり、言い分が必ずあるのです。
ただ、自分の目からはどうしても相手に事情があるとは 思えないだけです。

幼かった頃の息子の視点では、自分が頑張ったことをけなした姉が悪いから、自分は被害者だということになります。
息子の気持ちからしたらそれも当然でしょう。
一方で、姉たちはそれぞれ別の事情があったのかもしれません。
何かイヤなことがあって、その気持ちをたまたま近くにいた(しかも弱い立場の)弟にぶつけた。
弟に対しては加害者だったのかもしれませんが、他の誰かに対しては被害者になっていたのかもしれません。

ものごとはその瞬間だけをとらえて、判断するというわけにはいかないということです。

多様な視点をもつこと

上橋菜穂子さんの「精霊の守り人」シリーズ
(現在NHKでドラマ化され、放映されています) の一冊のあとがきに下の言葉がありました。

「歴史には絶対の視点などなく、関わった人の数だけ視点があり、物語がある。
私が心惹かれるのは絶対の視点がない物語です。俯瞰すれば無数の命がうごめく世界が見え、ぐっと近寄れば、ひとりひとりの人間のリアルな心の動きが見える。
そして、そのひとりひとりの背後には、彼らを生み出してきた歴史が感じられる…そういう物語なのです」

そう、絶対の視点はない!
ニュートラルであることは難しいけれど、少なくともこのことを 心に留めておきたい、そう思いました。

(2017年2月21日 岩田)

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