エネルギーを消耗させる負荷にも役割がある

エネルギーを消耗させる生き方

(日曜日に投稿したものがしっくりこないので、書き直しました)
最近、小説や古い物語などを読むことが増えてきました。
以前は、ビジネス書や人文関連の本ばかり読んでいました。
物語の世界に浸ると、登場人物に共感しながら世界観を共有することの豊かさにふれることができ、心に栄養をあげている気分です。
こんなことならもっと早くいろいろ読んでおけばよかった、というところですが、ふり返ってみると、あまり余裕なかったなぁと思うのです。

常に「やらなければ」という強迫観念があったからかもしれません。
「やらなければならないことがたくさんある」という思いが頭と心を占領している状態は、それだけで結構なエネルギーを使っています。
あれもしなければ、これもしなければ、と思いながら、結局は大したこともできずに日々を過ごしている…。
するとさらに「やらなければ」が大きくなる…。
ついでにできない自分に対しても批判的になる…。
悪循環です。
よくそれにはまり込んでいました。
そういう時は、気分転換してエネルギーを充電した方がうまくいくはずなのに、「できていない自分はもっと頑張らなければならない」と考え、ますますムキになってとりあえずの「やるべきこと」に向かおうとしてしまいます。
そこに無理があるのです。
結局、望んだ成果にたどり着けず、適当なところで手を打つ。
それで気持ちが収まればいいのですが、どこかでいい加減な自分を許せない、なんてことも起こります。
ある種の完璧主義です。

長くそんなことをくり返してきました。
同じような状況にある方も少なくはないと思います。
人によってはなんでそんなことにこだわるの?と言われそうですが、そうなるものは仕方がありません。
(病的にならなかったのは、ある程度の適当さを許容できたからです)
完璧を望み、努力したことで得たことも確かにあり、良くなかったとは思いません。
ただ、なぜそうなるのか、どう向き合うのかを知っていたらをもう少し早く知っていたらなぁという気持ちになることはあります。

それもまた無駄ではないということ

ただ、そこから学べることも実は多くありました。
はまり込んでいるときの苦しさから、なぜそのように苦しむのかという問いが生まれ、向き合うことで自分のこともわかってきました。
それが多くの人に起こっていることも知りました。
そして、苦しみは実は価値のあるものということも理解するようになりました。
理解が起きると人は変わります。
いくつになっても、人は変わることができる…。
そこに希望を感じます。

苦しみは負荷のかかった状態。
確かにエネルギーを消耗します。
が、スイスイと歩けている時には気づけないことを教えてくれます。
100m歩くということでも、山道と平坦で舗装された道、さらにプールの中とでは、歩きやすさが違いますね。
平坦な道に比べると、山道やプールの中は、負荷のかかった状態です。
そうした負荷は筋肉を鍛え、体を強くしてくれるもの。

苦しみもまた、その構造に気づき、自分らしい人生を生きるための大事な何かを教えてくれるものなのでしょう。
私にも自分の人生に与えられた解くべき謎はわかりません。
そもそもその謎解きこそが人生の醍醐味なのかもしれません。
負荷につき合いながら、力をつけていきたいと思っています。
そのために、時々自分をゆるめる時間をもつことも大事です。
みなさんにとってはそれはどんな時間ですか?

(2018年6月3日 岩田)

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