初対面の人にも気軽に話しかけられるようになりたい、という声

無力感でいっぱいだった体験

新年度がスタートし、大学の授業が始まっています。
早いもので今年で6年目。
毎年いろいろな体験をさせてもらい、そこで教えることも私の「学び」になっています。
思い返すと、最初の年は100人もの学生を前にしてどうしたものかと戸惑っていました。
社会人よりも何倍も手ごわい相手のように思えて、無力感すら覚えていました。
毎回手ごたえをつかめなくて、ぐったり疲れていたのを思い出します。

その後いろいろ工夫も重ねた結果、そんな日々が懐かしく思い出されるほど、今は楽になりました。
特に今年は教室の都合で、人数は半分。
昨年以上にひとりひとりと関われそうで、嬉しく思っています。

コミュニケーション上手な人のイメージとは

ところで第1回目の課題には、授業を選択した理由を書いて提出してもらっています。
コミュニケーションについての授業なので、やはりそれぞれ克服したいことなどが挙がります。
具体的なことは書けませんが、よく出てきた言葉に「初対面の人に自分から話しかけられるようになりたい」というのがありました。
読みながらの私のこころの中では、
「そうか、確かに初めての人に対しては緊張するよね」
「私もそうだったなぁ(今もそういう時がある)」
「でも、話しかけられるようになることって大事?」
「どうしてそう思うのだろう?」
といった声が生まれていました。
自然にその自問自答は、大学での初年度のことをふり返るきっかけになりました。
なぜ私は手ごたえを得られず、無力感を感じていたのか?

無力感を生み出していたもの

それは多分「優しく、ものわかりのいい先生」を理想としていたからです。
当時は無意識すぎて自覚できませんでしたが、その理想は私の欠乏感が生み出したものでした。
初めての経験で自信のない私は、いい先生になりたいけどなれないという葛藤を抱えながら前に立っていました。
「なれない」という部分が私の欠乏感。
自分に自信がないと、他者からの評価を頼りにします。
好ましい反応があると安心し、そうでないとがっかりすることをくり返しがちになります。

最近人前で話すのが楽になったのは、自分がどう見られるかをあまり気にしなくなったから…。
人はそれぞれのとらえ方があって当たり前だし、好き嫌いだってその人の自由。
私が操作できるものではありません。
わかりきったことなのに、そう思えないのは無意識のプログラムのなせる業。
それに気づき、重荷を少しほどいたことで、かなり楽になりました。

学生の時にコミュニケーションについて考える機会があるのは素晴らしいこと。
前期だけですが、目指しているのは自分の学生時代にもこんな授業があったらよかったと思えるような場。
50人それぞれが自分に自信をもってくれるといいな、と願いつつ、その場を楽しみながら、あと13回に臨みます。

(2018年4月22日 岩田)

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