「フロー」から考える「よい人生」とは

新しいやり方で「よい人生とは何か」を考え直したチクセントミハイ

ちょっと長いですが、ある本からの文章を転載します。

何年も前、私と学生たちは鉄道車両を組み立てる工場を見学したことがある。
中心となる仕事場は巨大で、絶え間ない騒音で話を聞くことがほとんどできない汚い格納庫だった。そこで働く溶接工のほとんどは自分の仕事を嫌っていて、終業時間を待ち望んで時計ばかりを気にしていた。彼らは工場の外へ出るや否や、近所の酒場に駆け込むか、もっとにぎやかなことを求め、州境を超えてドライブに出かけた。
だが、彼らのうちの一人だけは別だった。その例外はジョーというほとんど教育を受けていない60代前半の男性だったが、彼はクレーンからコンピュータのモニターまで工場の設備のすべての部品を理解して修理できるように独学した人である。彼は動かなくなった機械のどこが悪いのかを見つけ出し、再び正常に戻すことに挑戦するのが好きだった。家では彼と妻は自宅に隣接する二区画の空き地に大きなロックガーデンを築いて、さらにその中に、夜でも虹が作れる霧の噴水装置を設けた。
同じ施設に働く100人余りの溶接工たちは、たとえジョーを完全に理解できなくとも、みんなが彼を尊敬していた。何か問題が起こった時には必ず彼の助けを求めた。多くの人々が、ジョーがいなければ工場はすぐに閉鎖になるだろうと断言した。
何年もの間、私は主要企業の多くのCEOや大物政治家たち、数十人のノーベル賞受賞者と会ってきた。しかしどの人生もジョーの人生よりよくはなかった。彼の人生のような、穏やかで人の役に立ち、そして生きる価値のある人生は、何によってもたらされるのだろうか?
(『フロー体験入門  楽しみと創造の心理学』ミハイル・チクセントミハイ著より)

「フロー」の研究で有名な心理学者ミハイル・チクセントミハイが紹介している例です。
「フロー」とは、特定の行為に完全に没頭しつつ、感じること、望むこと、考えることが調和している状態です。
(スポーツでは「ゾーン」といわれていますね)
時間を忘れるほど何かに熱中した体験を思い出せたら、それはフロー状態かそれに近いはずです。

さて、ジョーの生き方についてどう思いますか?
チクセントミハイは彼のような生き方を「よい人生」の例として出しています。
私もジョーの生き方に惹かれます。
ですが一方で自分の中に、時にはわかりやすく人から評価されたいという欲もどこかに残っています。
「穏やかで人の役に立ち、生きる価値のある人生」に憧れるものの、なかなか達観して自分の道を進むことは難しいなぁと思います。

「よい人生」のために「フロー」の考え方を活かす

昨日は長く続けている小さな対話会でした。
「集中」ということがテーマだったので、「フロー」のことを話題にしました。
「フロー」を多く体験する日常の積み重ねが「よい人生」だとすると、どうすれば「フロー」になりやすいのかを知りたくなります。

チクセントミハイの研究では、「フロー」が起こりやすいのは、何をするのかという目的がはっきりしていて、かつ行動したことがうまくいっているのかどうかをすぐに確認できるという状況です。
さらにチャレンジ(機会)とスキル(行動能力)のバランスが重要だとしています。
例えば、人前で何かを話すというチャレンジが自分の経験や能力に対して大きすぎると「不安」でいっぱいになり、「フロー」どころではありません。
逆に十分な能力があることでも、そのチャレンジが低すぎると「たいくつ」になり、それもまた「フロー」とは遠い状態です。
現状のスキルに比べ、ちょっとだけ背伸びしたチャレンジをすると「フロー状態」になりやすいとうことです。

「フロー体験」をすると、あとから何かしらの幸福感を味わえることが多いものです。
幸福感はポジティブな感情の筆頭であり、「よい人生」の重要な要素でしょう。
幸福を感じるためのアプローチとして「フロー状態」への条件を整えていくことは現実的な気がします。
また、少しだけ背伸びしたチャレンジは、おのずとスキルを高めることにつながります。
スキルが高まるとさらに上のチャレンジが可能になります。
この循環が自分を高め、発展させていくことは想像がつきやすいですね。

まずは、自分の「フロー状態」に気づけるよう意識を向けてみるのはどうでしょうか?
私ももう少し「フロー」に注目してみようと思っています。

(2017年11月19日 岩田)

関連記事

ページ上部へ戻る