まわりの人がみんなスゴイ人に見えた!

新入りになった体験で子育てを思い出した

今月から新しく始めることになったことがあります。
昨日はそのスタートとして、先輩の方々に教えを受けながら、見学するという日でした。
台風で睡眠不足気味の朝、雨が上がっていたことにまずはホッとして家を出発。
ただ、どんなことが待っているのか全くわからないことには不安も感じていました。
結果的には、どなたもとても優しくて、丁寧にいろいろ教えてくださり、一日を終えた時は、いつもと違った充実感がありました。

昨日の右も左もわからないという感覚で、出産したての頃を思い出しました。
どこかに書いたかもしれませんが、長女を授かった時とてつもなく不安だったことです。
育児を何も知らないという無知に対する恐怖があり、「この小さな命を私は育てていけるのか」という思いで、押しつぶされそうでした。
本などで知識があっても、経験のないことはやはり「知らないこと、わからないこと」なのです。
そして「わからない」ということは、人間にとって恐怖です。
私の場合、「わからない自分は無力であり、無能である」というような観念がどこかにあり、それがより大きな恐怖を作り出したようでした。

そうはいっても目の前で泣く赤ん坊には何かしなくてはなりません。
1ヶ月ぐらいは恐怖と闘いつつ、無知で無力な自分が生き延びるための方法を必死で探していました。
それでも、人は慣れていくものです。
やがて恐怖は薄れ、子育てという日常に変わっていきました。
(まあ、早いうちから保育所を頼ったので、それも有難かったのですが…)
20年以上たった今は、そのことを懐かしく思い出すだけになっています。

右も左もわからないという体験は、細胞を活性化させる?

年齢を重ねてずっと同じような環境にいると、誰かに教える立場にはなれど、教えられることは少なくなります。
まして「全く何もわからないことを知らない人ばかりとする」という状況はほとんどないでしょう。
慣れたことを慣れた環境で行うのは、確かに楽です。
ただ、脳をフル回転させる必要はないでしょうし、体全体で自分を守ろうとすることもありません。

昨日は、本当に右も左もわからない自分を実感し、まわりの人がみんなスゴイ人に見えました。
吸収することが多い分、村上和雄先生の言葉をお借りすれば、これまで眠っていた遺伝子のスイッチもオンにせざるを得ないような状況です。
細胞も活性化していたような気がします。

仕事でも趣味でも、新しいこと、知らないことに向かっていくことは勇気が要りますが、それを心がけていくことの価値を再認識した一日でした。

(2017年10月24日 岩田)

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