聴き方のレッスン(10)「話す」と「聴く」のバランス

「話している時間」と「聴いている時間」どちらが多いですか?

みなさんはどうでしょうか?

私の場合、日常的には「聴く」の方が多いです。
仕事柄ということだけではありません。
多分子どもの頃からです。
どうも聴く側に回った方が後で自分がイヤな気持ちにならなくて済むと、経験的に思っていたからでしょう。
大人になってからも自分の発言に対して相手がどう思ったか、必要以上に気にすることがありました。
「あんなことを言わなければよかったんじゃないか」と後悔する度に、自分が話しすぎることを戒めていたように思います。

さすがに今ではそこまで気にすることはなくなったので、いろいろ話しますが、それでも喋りすぎたなぁという時はなんとなくモヤモヤした気分になります。
長年機能してきた自分を守るための潜在的なプログラム(この場合は、余計なことを言わずに聴いているだけの方が安全というもの)は、なかなか手ごわいものです。

理想的なバランスとは?

もちろんバランスを定量的に、「何割が理想的」などとはいえないでしょう。
相手の話を受け止め、自分の言葉を返す。
このキャッチボールがいいペースで実現している時は、互いに心地よさと満足感を感じるのではないでしょうか?
多分それが理想的なバランスなのでしょう。

自分の心地よさはある程度自覚することができますが、相手はどうなのか…。
観察して、可能であれば何らかの形で確認してみなければわかりません。
「相手はどう感じているのかな?」
そんな視点をもちながら、会話ができたら満足度がアップするような気がします。

いつもの自分を1割変えてみたら?

私のようにどちらかというと聴き役になることが多い人もいれば、いつも自分が話す方が多いという人もいます。

聴く人は、私のプログラムのように聴くことで得ている安全を確保できますが、一方で自分を表現したいという欲求は犠牲になりがちです。
話すという行為は、自分の内側にあるものを外に出すこと。
出してみて初めて気づくことも多いのです。
自分に気づくためにも、考えていること、感じていることを誰かに話すということは大切なことです。
こちらが自己開示をすると、相手もまた話してくれるという循環が生まれやすくなります。

話す方が多い人は自己表現はできている状態です。
何を考えているのか、相手に伝わるという点では申し分ありません。
一方で、会話がキャッチボールになるためには、相手の話を聴く余裕も必要です。

人は自分のペースを崩すことは意識しなければ難しいといわれます。
が、いつものペースを少し変えることで、いつもとは違う景色を見ることができる可能性が生まれます。

普段の聴き方、話し方のペースを1割だけ変えてみるというチャレンジもそのひとつだと思います。

(2017年8月8日 岩田)

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