若杉章子の一文字ブログ4「光」

2017年。丁(ひのと)酉(とり)年。

新しい年は、一体どんな年になるのでしょうか?
皆様は、どんな年になさりたいですか?

年初めに、「光」をえらんでみました。
「光」とは、辞書で引くと、基本的には、人間の目を刺激して、明るさを感じるもの。
現代の自然科学では、電磁波の一種と位置付けて説明されています。

仏教では、光は、仏や菩薩などの智慧や慈悲を象徴しています。
光輝、光線、光明、日光、月光、観光、光景、栄光、光臨、発光、威光、七光…など、希望や光明、人の心を明るく晴れ晴れとさせる物事に使われます。

「光」の反対語は「影」
影は、光が物体にさえぎられて、光源と反対側に現れる暗い部分をさし、光と影は、表裏一体のもの。

理想、希望、願望…という「光」を強く持ち過ぎると、反対側に潜んでいる、現実の欠乏感、絶望感、虚無感が浮き彫りにされてしまいます。

成功しよう、目標を高く持とう、自分らしく生き生きとワクワクして生きよう、明るく積極的に生きよう、願望実現しよう…という「光」の部分に煽られて、その気になればなるほど、そうできない自分に気づかされ、落ち込んでしまい、「光」の中にいる人を羨んだり、妬んだりしてしまう自分がいる。
そんな自分に、また傷ついて、何とかしたいともがいてしまう。

人は、環境のせいにしたり、誰かの、何かのせいにして、自分を防御してしまうことが多いものです。

最近、私は、行動力の衰えに課題を感じていました。
それを、年齢からくる気力や体力の衰えのせいにして、半ば諦めてしまっていましたが、心のどこかで、モヤモヤした思いがありました。
何のために、どうしたいのか…という、決意が足りないのか…?
アイデア、発想力、企画・手順がしっかりしていないのか…?
どうしたらいいのか?どう考えたらいいのか?

若いころの、バリバリと活躍する自分のままで考えていたのです。
いつまでも娘役、主役を演じようとしていたようです。
もう、そんな役回りはなくなっていたのに。
お母さん役、お婆さん役、嫌われ役…も、必要に応じて、幅広く演じることのできる年になったことを受け入れる勇気がなかったのです。

頭ではとっくの昔に分かっていたつもりでした。
どこかで執着して、抵抗して、「過去」の「光」の自分を手放せないでいて、自作自演の枠で苦しんでいたのです。

春夏秋冬、どれもが大切。
かつて、「老人力」というシリーズ化された本を読んだことを思い出しました。
誕生から終括まで、全てが大切。優劣はない。

本の内容とは、ちょっと観点は違いますが、「影」の部分から目を背けないで、ただあることをしっかり認めて、現在(いま)の自分から始めようと思います。

いまだから出来ることがあるかもしれない。
光と影、明と暗、陰と陽。
全てコインの裏表、切り離せない一つのもの。

健やかで豊かな一年でありますように!

今年もどうぞ宜しくお願い致します。

(2017年1月15日 若杉)

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